私達は言葉の進化の歴史のMTDNにいます

Line

私達が言葉というものを考える時、「文字」と「音」という2つの手段により、「意味」と「意思」を伝えていると言えるのではないでしょうか?

昨今の伝達手段としての「Mail」「Line」「SMS」というものは、文字として伝えるという部類だと思いますが、Lineについては、「スタンプ」という画像(イメージ)を使って、さらに直感的に伝えるという手法をとっています。

このLineという伝達ツールは、これまでになかった画期的な手法であり、ビジュアル的、漫画的な手法として、今後も独自に発展していくように思います。

私達の使っている日本語は、歴史的には、はじめは音として始まりました。

日本の成り立ちを書いた古事記は、7世紀~8世紀に、稗田阿礼(ひえだのあれ)が代々記憶して口承で伝えていた物語を文字として記録したものだと言われています。

現在、私達が使っている日本語は、「大和言葉」といわれている日本古来からの音による言葉と、隋や唐の時代に入ってきた「漢字」(外来語)が融合してできた言葉であると言われています。

日本で使われている漢字は、中国で本来使われていた音とは異なり、朝鮮半島からの帰化人の言葉や、当時の日本語と融合して、その音自体も、さらに意味自体も変化しながら現在の日本語になってきた歴史があります。

つまり、言葉とは時代と共に常に変化しているものだということです。

現在では、オランダやポルトガルからやってきた言葉が日本語化されていたり、英語からやってきた言葉がカタカナになっていたりして、日本語自体も、「かなりちゃんぽん」な言葉になっていると思います。

逆に、日本語から海外に出て行った言葉もあります。

「SAKE」「SUSHI」「MANGA」「BENTO」などがそれらになります。

さらに驚くのは、「DAI語」という新しい言葉も流行ったりしています。

DKB (大好物)
DSP(大失敗)
GC(ガチ)
GGDD(言語道断)
JS(人生って素晴らしい)
JSSK(上昇志向)
KKDI(健康第一)
MKS(負ける気がしない)
MM(マジムリ)
OYSM(おやすみ)
SWB(初心忘るべからず)
などです。

最初は「KY」(空気読めない)から始まったように思いますが、日本語の最初の文字をアルファベットで表すことが、今や普通の会話で使われていることもあります。

同じように、アメリカでもこのような言葉は流行っていて、特に、メールの中などで使われる言葉では、

ASAP (as soon as possible)
BTW (by the way)
OMG (Oh my god)
FYI (for your information)
lol (laugh out loud)・・・日本語の(笑)という感じです。
BRB (be right back)
BYOB (bring your own beverage/beer)
PLS (please)
TKS (thanks)
JK (just kidding)
NVM (never mind)
Cuz (because)

などや、さらに短くなると

I C. (I see.)
See ya. (See you.)
I love U. (I love you)
Thanks 4 your support. (Thans for your support.)

などもあります。

このような略号は、インターネットなどの進化によって文字情報で相手に言葉を伝えることが多くなってきた結果、よりシンプルに文字を使う手段を考えた結果だと思います。

ということで、私達は言葉の進化の歴史のMTDN(真っただ中)にいます。

このような言葉の進化は、新しい言葉というよりも、文字表現が形を変えて進化している現象だと思いますが、これらを端的に言えば、短い文が多くなって、長い文を書いたり、長い文を話したりという習慣が極端に減りつつあるということかもしれません。

言葉の持つイメージだけを投げて、それをキャッチしているだけで、本当の意味で「意味」や「意思」が伝わっているかどうかは、かなり疑問です。

当然、このような短い言葉のやり取りは、普段の友人との会話ではなりたちますが、人に対してきちんと正しく理解してほしい場合は、きちんとした日本語で話せるようにならないと、いずれ困ることになると思います。

このような意味からも、きちんとした日本語で、正しく会話ができたり、人前できちんとした話し方ができることこそが、逆に今の時代に必要とされてきていると思うのです。

このことは、日本語であっても、英語であっても、その他の言語であっても共通の問題だと思います。

ヒューマン話し方教室 スタッフより

人とぶつかることを嫌う人が増えているのはなぜか?

昨日、テレビを見ていたら、急成長している会社が紹介されていました。

その中で気になったのが、小さな会社の事務所の中で、パソコンに向かって仕事をしている10人くらいの社員たちです。彼らは黙々と仕事をしており、何時間も全く会話がない状態で仕事をしているという風景でした。

ところが、実際には、仕事上の話や、昼ごはんに何を食べるのかという私的な話も、すべてパソコン上のチャットで行われていたというのが真実だったのです。

つまり、目の前にいる人や、隣の人に対しても、声をかけることなしに、チャットで話すということがあたりまえになっている会社だったのです。

その理由としては、仕事をしている人に声をかけたりすると、仕事に集中している人に悪いという感覚のようでした。

一方で、この会社では会議というものはなくて、全員がチャット上で常にコミュニケーションすることで、問題点を担当者どうしや、全員で話し合うというシステムになっているようです。

このようなチャットでのコミュニケーションが、仕事を効率化させて、その結果、会社の売上が伸びて会社が急成長しているのではないかというようなお話でした。

この話に対して番組の出演者の人は、隣の人とチャットするより、直接話した方がいいんじゃないのという意見でしたが、私自身としてはこのような会社は確実に増えているような気がします。

1つの理由としては、日本の会社での会議は、時間だけを浪費し、非効率な会議になっていることが多々あると考えられるからです。

もう一つは、他人に対して直接口で話すよりも、キーボードを叩いてチャットで伝えるという方が、今の若いスマホ世代の人たちにとっては自然なことなのかもしれないと思うからです。

本来の話し言葉と同じような感覚で、書き言葉を使うという習慣は、スマホ世代ではないおじさんやおばさんには理解できないことですが、若い頃からツイッターやラインなどで、つぶやきを発信してきた世代にとっては、そのほうが話した内容も残るし、無駄がないという感覚なのかもしれません。

「無駄がない」「合理的」「時間の節約」という言葉に反論できる人は少ないと思いますが、恐らくこの会社での働き方を見た人は、「何らかの違和感」を感じたと思います。

その「違和感」を言葉で表現するのは難しいのですが、それは本来人間には、他人と話すための口があって、口で話すことが不自由というわけではない人どうしが、同じ空間の中でパソコンのチャットという別の手段で意思を伝えているという不自然さではないかと思うのです。

その根底には、「人の邪魔をしない」「人の時間を無駄にしない」という考えがありますが、逆に考えれば、「自分の邪魔をしてほしくない」「自分の時間を無駄にされたくない」という心理があるように思うのです。

直接目を見て、口で話すということは、ある意味自分をさらけ出して、対決するという部分があります。一方、チャットでの言葉は、それとは違って一種のフィルターがかけられた言葉になるように思います。

簡単に言えば、チャットではどうしても踏み込めない部分、特に相手の心の中に踏み込めない部分があるように思います。

人と意見が違うことでぶつかって、それをとことん議論しながら、相手の言いたいことを深く理解してゆくという過程は、時間の無駄かもしれませんが、私達が生きていく社会ではとても大切なことだと思うのです。

確かに合理性や時短ということが会社の中では求められていますが、社会全体が合理性や時短に支配されてしまうと、私達自身にとっても、とても生きにくい社会になってしまうように気がするのです。

そのような意味でも、パソコンを通して行うチャットはほどほどにして、いろんな人たちと顔を合わせながらおしゃべりする時間をぜひ持っていただきたいと思うのです。

ヒューマン話し方教室 スタッフより

本番で緊張しないために オリンピック選手に学べ!

日本リレー
産経フォトより引用)

リオオリンピックも終わり、その感動も少しづつ覚めてきたころです。

テレビを見ていると、4年間の長い鍛錬がその一瞬で決まるように思えますが、実際には多くの修羅場を経験している人たちなので、以外と冷静に自分のポジションをわかっていてプレイしているのだと思います。

たとえうまくいかなくても、全力を出しきれば、それは当然の結果と納得できるのだと思います。

なぜ、トップアスリートの人たちは、あれほどのプレッシャーの中で、あわてることなくプレーできるのでしょうか?

それは、肉体的なトレーニング(フィジカルトレーニング)と併せて、最近では必ずメンタルトレーニングというものを取り入れて、常にプラス思考で考えるように自分を切り替えていける自信をつけているからだと思うのです。

このような結果、今回は多くのメダルを獲得することができたと思うのです。

特に、銅メダルの多さがそれを物語っています。

どのアスリートも、金メダルをめざして戦っていますが、金メダルをとれるのはたった一人だけであり、実力があっても必ずとれるものとは決まっていません。

もし、準決勝で敗れたとしても、そこで挫けてしまうのではなく、緊張感を持続して銅メダルを取るために集中するという姿に、私達は感動するのだと思います。

実は、メダルを取れなかったけれども、4位、5位、6位、7位、8位までに入賞した日本人も、すべての競技にわたってかなりの人数がいて、本当はそのような人たちにも光を当てて、メディアが報道することが大切ではないかと思います。

よく、試合を終えた選手が話す内容で

「自分の100%の力が出せなかったのでくやしい」とか

「負けたけど、100%の力で戦ったので悔いはない」とか

一見して反対の言葉のように思えますが、実は同じ意味ではないかと思うことがあります。

実は、勝ったときよりも負けたときの対応が大切だと思うのです。

 

テレビを見ていると、銀メダルや銅メダルを受賞しているのに、表彰台ではくやしそうな顔をして、全く笑わないという選手がいます。

一方で、選手の中には、銀メダルや銅メダルであっても、金メダルを取った選手を笑顔で祝福して、拍手をしている人も多いと思います。

このように、同じ環境にいても、自分のことだけを考えて悲観的になっている姿よりも、周りの人たちに対して、感謝の気持ちや祝福の気持ちを持てる人の方が、人間的にすばらしいと思うのです。

たとえ自分の力が足らずに勝利できなくても、それをプラス思考に変えられるメンタリティこそが、人間的な幅を広げて、みんなに認められる人間になっていくのだと思います。

 

私達も、日々仕事をする中、人とつきあう中で、多くの失敗をすることがあると思います。

でも、失敗した時こそが、自分を大きく変えていける時だと思うべきです。

むしろ、成功ばかりの人生を歩んでいる人は、人間的にもろく、いざという時には頼りになりません。

多くの失敗や苦難を経験し、それを糧として自分の進むべき道をたくましく進むことこそが、生きていくうえで最も大切なことだと思うのです。

 

ヒューマン話し方教室がめざしているのは、「話し方」を通しての人間の成長です。

「話し方」というテーマを真剣に考え、発声・滑舌というトレーニングや、スピーチを何度も行い、話す事に慣れていくトレーニング、そのようなことが、「トークジム」で行われています。

一方、メンタル面については、自分の深層心理を深く追求して、なりたい自分の姿をイメージして、それを行動まで結びつけるためのトレーニングがあります。そのようなことが「アインデンティティートレーニング」です。

オリンピックのアスリートと同じように、フィジカル面とメンタル面の両方から、話し方を強化するプログラムが組まれています。

しかし、大切なことは「強い自分になりたい」という気持ちだと思うのです。

そういう意味で、アスリートと同じように、その気持ちを高め、常に新しくチャレンジする気持ちを持って、日々の生活の中で、前進していくことが大切だと思います。

ヒューマン話し方教室 スタッフより