2015年は「話すこと」について考えた年でした
2015年はいろんなことがあった年でした。
政治・経済・文化・教育などいろんな分野で大きな節目の年だったような気がします。
私自身にとっては、「話す」ということをじっくりと考えた年だったように思います。
話し方教室に通われた生徒さんにとっても、これまで考えたことがないくらいに「話すということ」を体験したことと思います。
誰でも「話す」ということは簡単と考えがちですが、きちんと伝わるように話すということや、気持ちが伝わるように話すということになると誰でもができることではないようです。
先天的に話す事が出来ない人たちもいます。その人たちは手話を学び会話をしています。
国ごとに言葉が異なるように、手話も国ごとに違いがあるそうです。
異なる言語で話していても、お互いが心を通わすことができれば気持ちは伝わります。
同じ日本語を話していても、お互いの心が違うところにあれば、違った意味で伝わることもあります。
今年は、戦後70年の節目の年でした。
戦争の体験を伝えられる人は、年々少なくなってきて、伝えようとする人たちの言葉を正しく受け取ることができなくなってきているようにも感じます。
人は自分が体験したことを話そうとしますが、他の人は同じ体験をしているわけではないので、深く伝わらないということがままあります。
1つのグループである問題を考え抜いて結論を導き出したとしても、それに関わらなかった人たちに結論だけを伝えても、真意は伝わらないことが多いのです。
インターネットは、世界中の多くの事件や人々のことを知ることができますが、それは結果的なことであって、その結果が生まれてきた過程は知ることができませんし、それぞれの国の歴史や考え方でその解釈は別々なものになってしまうことも多々あります。
「話す」ということは、私達どうしが「共通の意識」を共有することができる唯一の手段です。
メールやFacebookやLineなどでは決して伝わらない何かを伝えることができる手段です。
しかし、人と人とが面と向かって話したとしても、お互いの心が閉じてしまっていれば何も伝わりません。
「心」は本体で、「話す」は手段なのですが、それが一体にならないと「伝える」ということはうまくできないもののようです。
このような根源的なことをずっと考えてきた1年だったように思います。
来年は、2016年です。
また新しい年が始まります。
新しい年には希望があり、そしてチャレンジできる勇気をもらえます。
それでは、みなさん、よいお年を!
ヒューマン話し方教室 スタッフより