安保法制で変わってきた若者の意識と行動

この2015年9月は、日本国中が安保法制に揺れた月だったように思います。

私もテレビやネットで多くのデモの姿を見てきて、久しぶりに若い人が政治の在り方に興味を持って行動したのではないかと思いました。

多くの学生が、大学の授業が終わった夕方から集まり、夜を徹してデモを行っているという行動は、これまでなかった姿だと思いました。

その中心となったのが「シールズ」という学生団体ということですが、これまで違い、無党派層の学生で構成されており、イデオロギーなどとは一線を画して、自分で考えて行動するという新しいスタイルを持っていることが注目されているようです。

デモでは、何人かのメンバーがスピーチをする姿がありました。

そのスピーチをテレビで見て、これは面白い!と思うことがありました。

それは、スピーチの原稿をスマホに書いているようで、それを見ながらスピーチを行っていた点です。

あのような大勢の前に立ちテレビカメラを向けられて、一般の学生がスピーチするというのはかなり勇気もいることだと思いますし、なにより緊張して覚えていたことも忘れてしまうことも多々あると思います。

選挙運動でもスピーチでは、原稿を見て話すということはまずないと思いますが、このようなデモにおいても原稿を見ながら話すということは、めずらしいと思いました。

しかし、スマホに書いてある原稿を見ながらスピーチするという手法は、紙の原稿を持っているより結構スマートに見えるんですね。

あのオバマ大統領だって、プロンプターという機械をつかって、聴衆にわからないようにスピーチ原稿を見ながら話しているわけで、やっぱりスピーチには原稿が必要だってことだと思います。

要は、ちゃんとしたスピーチ原稿を用意して、大勢の前であがらず話すことができている学生メンバーは、かなり立派だと思いました。

皆さんは、ご自分でスピーチ原稿を書いたことがあるでしょうか?

私は、その昔中学校の時代に、「弁論大会」というのがありまして、なぜかそこで発表することになってスピーチ原稿を書いたのが最初だったと思います。

スピーチというのは、単に原稿を暗記して読めばいいというものじゃなくて、聴衆の反応を見ながら進めていくものなんですね。だから、そういうことも想定しながらスピーチ原稿を書かなければならないんです。

ところが、そんなこともわからない中学生ですから、結果的には全く恥ずかしいスピーチになってしまいました。そういうことも、今から考えればいい経験だったと思います。

それから、長い時間が経って、会社に入って中堅社員になってきたころです。

今度は、課長レベルのスタッフが交代で月曜日の朝の朝礼でスピーチを担当するということになりました。

もともとが理科系の人間なので、あまり人前で話すということは得意じゃありませんし、それほど話題が豊富なわけではありません。毎週日曜日の夕方になると、何を話そうかと考えて憂鬱になりました。

それでも、人前ではそれほど緊張しない性質なのでなんとか話はできたのですが、一番の問題点は、「話の組み立て」が全く出来ていないんです。ですから、とりあえず朝礼で何かを話したという程度で、いつも恥ずかしい思いをしていたように思います。

私のような思いをした会社員の方は多いと思いますし、単に責任感だけでなんとかやっているというだけだと思います。もう少し、話し方のノウハウや経験があれば、もっといい話ができたかもしれないと思うのです。

話は変わりますが、私がスタッフをしている「ヒューマン話し方教室」で、新しく「オープン講座」を企画することになりました。

オープン講座というのは、一般の方が誰でも受講できるという講座です。その第一弾は、スピーチ上達を目指す人のための「ビジネススピーチ特訓講座」という1日講座です。

この講座では、さきほども出てきたスピーチ原稿の作り方の指導や、聞き手に伝わる話の組み立て方を学ぶことができます。何より、座学ではなく実際に自分で簡単な原稿を作り、発表するという実践トレーニングもできるカリキュラムなので、人前で話すことが多い方には最適だと思います。

興味のある方は、ホームページをご覧ください。

若者のデモの話から、派生してスピーチの話までしてしまいましたが、今回のデモの最後に、若者たちが「選挙に行こう!」と何度も叫んでいた姿は、とても感銘を受けました。

ぜひ、選挙に行っていい国会議員を作り、いい国にしていければと思います。

ヒューマン話し方教室 スタッフより

セカネコと日常の不自然さについて

世界から猫が消えたなら

世界から猫が消えたなら(通称セカネコ)は、ありえない設定のお話なのですが、その中には、奥深い意味が隠されている・・・そういう小説です。

私たちのまわりに存在する日常は、あたりまえに存在しているし、それが変わることはないと、多くの人々は信じています。

しかし、ちょっとしたきっかけで、あたりまえが変化することがあります。

そういう時に、あたりまえのありがたさに始めて気づくのです。

この本の最後のあとがきで、この本を推薦している中森明夫さんの文章があります。

中森明菜さんと一字違いのこのおじさんは、実は本名ではなく、中森明菜さんの名前をもじって中森明夫とつけたそうです。

この中森明夫さんの文章の中に、中森さんがこのセカネコの本を若い人にプレゼントしているという一節があります。

プレゼントできる本というのは、そんなにありませんよね。

気軽に読める本なので、読み終わったら人にあげたくなる本です。

是非、あなたも読んでみてはいかがでしょうか。