人とぶつかることを嫌う人が増えているのはなぜか?

昨日、テレビを見ていたら、急成長している会社が紹介されていました。

その中で気になったのが、小さな会社の事務所の中で、パソコンに向かって仕事をしている10人くらいの社員たちです。彼らは黙々と仕事をしており、何時間も全く会話がない状態で仕事をしているという風景でした。

ところが、実際には、仕事上の話や、昼ごはんに何を食べるのかという私的な話も、すべてパソコン上のチャットで行われていたというのが真実だったのです。

つまり、目の前にいる人や、隣の人に対しても、声をかけることなしに、チャットで話すということがあたりまえになっている会社だったのです。

その理由としては、仕事をしている人に声をかけたりすると、仕事に集中している人に悪いという感覚のようでした。

一方で、この会社では会議というものはなくて、全員がチャット上で常にコミュニケーションすることで、問題点を担当者どうしや、全員で話し合うというシステムになっているようです。

このようなチャットでのコミュニケーションが、仕事を効率化させて、その結果、会社の売上が伸びて会社が急成長しているのではないかというようなお話でした。

この話に対して番組の出演者の人は、隣の人とチャットするより、直接話した方がいいんじゃないのという意見でしたが、私自身としてはこのような会社は確実に増えているような気がします。

1つの理由としては、日本の会社での会議は、時間だけを浪費し、非効率な会議になっていることが多々あると考えられるからです。

もう一つは、他人に対して直接口で話すよりも、キーボードを叩いてチャットで伝えるという方が、今の若いスマホ世代の人たちにとっては自然なことなのかもしれないと思うからです。

本来の話し言葉と同じような感覚で、書き言葉を使うという習慣は、スマホ世代ではないおじさんやおばさんには理解できないことですが、若い頃からツイッターやラインなどで、つぶやきを発信してきた世代にとっては、そのほうが話した内容も残るし、無駄がないという感覚なのかもしれません。

「無駄がない」「合理的」「時間の節約」という言葉に反論できる人は少ないと思いますが、恐らくこの会社での働き方を見た人は、「何らかの違和感」を感じたと思います。

その「違和感」を言葉で表現するのは難しいのですが、それは本来人間には、他人と話すための口があって、口で話すことが不自由というわけではない人どうしが、同じ空間の中でパソコンのチャットという別の手段で意思を伝えているという不自然さではないかと思うのです。

その根底には、「人の邪魔をしない」「人の時間を無駄にしない」という考えがありますが、逆に考えれば、「自分の邪魔をしてほしくない」「自分の時間を無駄にされたくない」という心理があるように思うのです。

直接目を見て、口で話すということは、ある意味自分をさらけ出して、対決するという部分があります。一方、チャットでの言葉は、それとは違って一種のフィルターがかけられた言葉になるように思います。

簡単に言えば、チャットではどうしても踏み込めない部分、特に相手の心の中に踏み込めない部分があるように思います。

人と意見が違うことでぶつかって、それをとことん議論しながら、相手の言いたいことを深く理解してゆくという過程は、時間の無駄かもしれませんが、私達が生きていく社会ではとても大切なことだと思うのです。

確かに合理性や時短ということが会社の中では求められていますが、社会全体が合理性や時短に支配されてしまうと、私達自身にとっても、とても生きにくい社会になってしまうように気がするのです。

そのような意味でも、パソコンを通して行うチャットはほどほどにして、いろんな人たちと顔を合わせながらおしゃべりする時間をぜひ持っていただきたいと思うのです。

ヒューマン話し方教室 スタッフより