かなり昔から「議論」という形で専門家の間で意見が対立している。
「英語教育を幼少期に始めるべきか」という議論だ。
幼少期こそ、正しい日本語を身に着けることが必要であり、その時期に英語を勉強すると、日本語が正しく身につかなくなり、ひいてはその他の科目にも影響がある。さらに、情報機器の普及によって漢字が書けないなどの弊害も生まれており、子供の時期にしっかりした国語力を身に着けることが大切だ。と反対派は言う。
一方、賛成派は、幼少期から英語を学べば、将来にわたって英語の発音が正しく聞こえたり、話せたりするようになり、その後の英語の習得にかなり有利になると共に、英語の文法力よりも会話力に重点を置いた学習形態に変化させていくことで、グローバル社会で必要とされるより多くの人材の育成が可能になる。と言っている。
このような議論とは別に、世間の親はわが子に英語教育が受けられる小学校に入れようと躍起になっているという話も聞く。
大人になってから思うのは、「英語が話せないのは学校教育のせいだ」と言いたいのだろうが、同じような教育を受けても、話せる人と話せない人がいるということは、一概に学校教育のせいとは言えない面もあると思う。
最近あるYoutubeの動画を見て、衝撃を受けた動画がある。 それは、以前に書いた記事で紹介したが、赤ちゃんが6ヶ月から1歳の間に聞いた音で、音を聞き分ける脳が作られていて、その後は歳をとるにつれ音を聞き分ける能力が退化していくという話である。
さらに、その音というのは、人間が直接赤ちゃんに対して語りかけるという形でしか有効ではないということらしい。 幼児期に親が話しかけるということが、その子の言語能力を最も高めているということをこのことは示していて、おそらく、その後の複雑な言語の習得にも大きな影響を与えているように思われる。
最近は、電車の中で、子供が泣いているのに、無視してスマホをいじっている親を見かけることもあり、そういう親が子供の脳に影響を与えていると思うと、この国の将来に一抹の不安を感じてしまう。
私たち大人は、子供たちの可能性を広げるためと、良識のある大人になってもらうために学校教育をよりよいものにしてもらいたいと願っているが、時代時代で変わってゆく勝手な大人たちの思惑で、団塊世代、バブル世代、氷河期世代、ゆとり世代、さとり世代と呼ばれる世代が生まれたりしていることを考えると、学校教育は固定的なものでなくて、時代に対応して変化してきたものらしい。
しかし、どのような教育を受けるにしても個人差はあり、何かが得意であれば、何かが不得手であるという千差万別の個性というものは変えがたいところのようだ。 幼児期から小学生に至るまでの英語教育のあり方のみならず、今を生きる私たち大人の英語教育のあり方も同時に考える時期に来ているのではないだろうか?
ヒューマン話し方教室 スタッフより